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今や世界から人気の京都は日本を代表する観光地となっております。
古都京都の街並みや世界遺産を巡り日本の歴史や伝統、風情ある形を
社員旅行にて感じることができるコースです。
名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。
この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。
トロッコとは、もともと荷物輸送用の小型貨車として、トラックや通常の列車が入れない場所にレールを敷いて走らせた箱型車両のことです。ゴトゴトとゆっくり走る、素朴な貨車。そんなイメージにぴったりなのが、嵯峨野トロッコ列車です。
平均速度は時速約25km。ちょっと速い自転車くらいの速さです。だからこそ楽しめる保津川沿いの自然や渓谷美。片道7.3kmおよそ25分の間、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の枯野や時には雪景色と、四季それぞれに違った風景を楽しめます。
特に景色が美しい場所では、速度をおとして走りますので、ゆっくりと景色をお楽しみいただけます。トロッコ列車に乗った人だけが楽しめる渓谷美。他では撮れない1枚が撮れるかもしれません。
仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山です。 境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並びます。 同時期に植えられた御室桜は4月中旬に見頃を迎えますが、建物と同様、 当時と同じ姿を現在に伝えています。平成6年には世界遺産に登録されました。
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
城は,敵の攻撃を防ぐために築いた防御施設のことで,古代の城(き)や柵(き)あるいは都城,中世の領主の居館や山城・砦,さらには環濠で囲まれた寺内町などをはじめ,江戸末期に各地に築かれた砲台まで含む幅広い用語です。
その中で,最も城らしい城とみなされているものの大半は,戦国時代末から安土桃山時代をへて,江戸初期に至る半世紀ほどの間に築かれたものです。
この期間には大小あわせて3000にも及ぶ城郭が乱立していました。しかしながら大坂夏の陣(1615年)直後の徳川幕府による「一国一城令」によって,その数は一挙に約170城まで減少し,その後は城の新築はもとより増改築さえも幕府の許可なしには一切できなくなってしまったため,ほぼ同じ状態で明治維新を迎えることになりました。明治維新で武士の支配が終わると,明治新政府によって明治6年(1873年)城郭の廃城令が明示されて,明治7・8年頃には約三分の二の城郭が廃城となってしまいました。
その後,太平洋戦争においても大きな被害を被りましたが,戦後は,城の歴史的価値は見直され,またすぐれた観光資源として焼失した天守閣や櫓・城門などの再建・復興が相次ぎました。
音羽山清水寺の開創は778年。現代から遡ること約1200年前です。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきました。古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並びます。創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、篤い信仰によって何度も再建されました。現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたものです。1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。
観光バスは希望地に配車します(東京都内及びその周辺地域)
大型バス(53~60人乗り)、中型バス(28人乗り)、小型バス(24人乗り)を利用します。
年末年始・旧盆期間をのぞく通年です。
58,000~
60,000~
62,000~
65,000~
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